第二章 道化の助言

1.5.道化

「まいどあり!」
 笑顔で男が叫ぶ。
 それを受け、買い手はうっすらと笑みを浮かべ応える。
 砂色の、地に付くほどの長いローブを身に纏う男はそのまま一礼し、立ち去る。
 人と人の間を、僅かな隙間を戸惑わずに歩く。
 通り過ぎる人の不躾な視線を気にする事も無く。
 男は唯歩く。
 考えるのは此れからの予定、
 これから何をするかではなく、
 如何動くかの悩み。
 顔の右上半を覆う仮面を、うっすらとした笑顔の仮面を纏いながら彼は考える。
 どうやって、根絶やしにしようかと。
 ふと鮮やかな赤が通り過ぎていった。
 彼は立ち止まり、振り返る。
 鮮やかな赤は立ち止まらず、歩き続ける。
 その背後には、幾人の男がつかず離れず歩いていた。
 其れを認識した瞬間、彼は笑みを深め行く手を変えた。



 路地裏の中、影の中に溶け込むように仮面の男は立っていた。
 見据える先は鮮やかな赤と四人の男。
 赤が動き出す。
 流れるかのように動き、一人の男をあっさりと倒した。
 それに怒ったのか二人の男が殴りかかる。
 クロスカウンター。
 鮮やかに決まった。
 同士討ちだった。
 くつり、思わず笑いを、哂いを零す。
 まるで可笑しな喜劇を眺めるかのように目の前で起きている争いを見ている。
 傍観者のように、ただ見る。
 残り一名、懐からナイフを取り出している。
 赤は気づかない。
 先ほどの同士討ちに気をとられすぎているのだ
 動かない赤を見て仮面の男は息を吐き、やれやれと呟いた。
 音も無くナイフを振りかざす男の背後に近づき、左腕を捻り上げ、首を絞めた。
 仮面の男の方が長身で、ナイフを持つ男のほうが低身。
 自然とナイフの男の体が浮き上がった。
 爪先立ちでも地面には届かず、首が絞まる。
 左腕から力が抜けナイフが落とされる。
 きぃん、軽い、金属音。
 音を聞き、漸く思い出したのか赤が振り返った。
 仮面の男は赤を見ようとして、締め上げている男が邪魔だと気づく。
 仕方が無いと小さく呟き、閉める力を強め意識を刈り取った。
 そのまま男を前のめりに倒す。
 倒れた男に一瞥すら与えず、彼は目の前の赤を見た。
 赤い髪に緑の瞳、整った顔立ちに白い肌。
 青年というには若すぎて、少年というには雰囲気が鋭すぎる。
 仮面の男は観察しながらそう思った。
「誰だ」
 赤が呟いた。
 警戒したような、声。
 それに仮面の男はただ何時も道理にうっすらと笑みを浮かべ何時も道理の軽薄な声を出す。
「おやおや、命の恩人に対して誰だ何て酷いデスネー」
 同時に一歩踏み出す。
 先ほどの立ち居地では陰に隠れてこちら側が認識できないだろうという配慮だ。
「仮面?」
 小さな呟き、小さな疑問。
「此れが気になりますカ? 些細な事を気にするのデスネ。だから隙が出来るのデスヨ。私が来なかったら危なかったですヨ」
 笑みを刻みながら問うて、言った。
 仮面など些細な問題でしかない。
 何よりも聞き空き始めた疑問でもあった。
「ムッとなりましたか。子供ですねぇ」
 僅かな苛立ちを感じ、其れを煽るかのように仮面の男は言った。
「うるさい」
 案の定機嫌を悪化させた赤、けれども彼は苛立ちを抑えるかのようにそう言う。
「おやおや、行き成りうるさいだなんて酷い。命の恩人に対して文句を言うなど、嘆かわしい事ですヨ」
 其れに対し仮面はただ煽るように、軽薄そうに、言葉を紡ぐ。
 深い意味の無いただの言葉の並びを。
 芝居が掛かったかのような動きと共に。
 まるで劇場で観客に語りかけるかのように、
 まるで道化のように。
 赤に近づく。同時に言葉の羅列を紡ぐ。
「それにしてもよくもこんな裏道に来ようと思いましたネ。其れもこのような日が落ち始める時間帯に。何処の町でも薄暗い場所はこのような方々が居られるというのに。おや、それとも実は奴隷志望でしたカ、其れは其れは邪魔して申し訳ございませんでしたネ」
「んな分けないだろう。偶々だ偶々。というかだったらお前は何故こんな所に居るんだ」
 反射的のように反発する赤。
「さて、何故でしょうネ」
 はぐらかす仮面の男。
「実はこいつ等と仲間で俺を油断させようとしてる、なんて事は?」
「有り得ません。もしもそうでしたら助けなどしませんヨ、問うても無意味だと分かっているのに聞く何て……自分の失敗を繰り返し確認したい自虐趣味でもお持ちで?」
「お前は人の事を馬鹿にしないと気がすまないたちなのか?」
「おやおや、もしかして気に障りましたカ。其れは申し訳ございませんでした」
 会話を続け、空虚を紡ぎ、感情を煽る。
 謝るかのように吐き出す言葉も空気のように、もしくは空気よりも空虚で、
 謝るかのように示した一礼もまた形でしかなく、何の意味にもならない。
 反論するのも反発するのにも疲れたのか赤は溜息をついた。
「さて、日も暮れ始めますし、用も済みましたので私は此れで失礼させて頂きますネ」
 其れに気づいた仮面の男は紡ぎ、再び一礼。
 そしてそのまま隣をすり抜けるように、立ち去った。
 誘拐犯達の事をすっかり脳内から消去したまま。
 仮面の男は……道化はただ去っていった。


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